御祭神
誉田別尊(第15代 應神天皇)
創 建
康平6年8月(西暦1063年)
御由緒
永承5年(1053)源頼義公が陸奥守として、その子義家公と共に勅を奉じ奥州に赴き、阿部宗任を打ち貞任を降して奥州の乱(前九年の役)を平定しました。
その後、戦勝を祝し、父子相議し、出陣に際し源氏の氏神としてご加護を祈願した山城國(京都)の石清水八幡宮を勧請し、父源頼義公は相模國由比郷に若宮八幡宮(現・鶴岡八幡宮)を、子源義家公は武蔵國杉田郷に若宮八幡宮(現・杉田八幡宮)を創建し永く源氏の武運長久を祈願しました。
その時が康平6年(1063)8月と云われています。
年を経て建久3年(1192)、右大将源頼朝公より社領を授けられ、久良岐郡の総社と定められました。
延宝2年(1674)に時の領主 間宮左衛門尉信廣公が社殿を再興、永一貫三百文の田園及び山林を寄進して久良岐郡12箇村(寺下、門前、中里、栗木、中原、雑色、公田、磯子、門前、滝頭、根岸、芝生)の総社となりました。
同年、同所に日蓮宗一宇を建立し、間宮山妙観寺と名付け、当社の別当としました。
天文5年(1740)9月、間宮家が他所に移住するに至り、当社も衰退し、総社の名を自ら廃滅することとなりました。
明治四年(1871)、神仏分離令により、妙観寺は当社別当職を解かれました。
明治6年(1873)、村社に列せられました。